サステナブルに生きる。鳥谷部愛のブログ

サステナブルな生き方を探究するField of Wings鳥谷部愛(とりやべあい)のブログです。

北の魔女が死んだ(祖母の死から見る死生観)

私にとっての北の魔女、おばあちゃんが先日亡くなりました。

西の魔女が死んだ』という本がありますが、私のおばあちゃんもなんとなくそんな感じの人。早くに夫と息子を亡くし、娘(私の母)も上京し、ずっと一人で北海道で暮らしていました。

 98才だったので、最期にはちょっとボケてきて老人ホームに入っていましたが、最期まで歩けるし、食べられるし、とっても素敵な人でした。

今回おばあちゃんが死んだことで、気づきの多い経験をしました。
なんと私は母から祖母の死を1週間知らされなかったのです!

その理由は、長女の卒園式があったり、娘たちふたりが溶連菌だったから大変だろうと思って・・・というものでした。

そして、「おばあちゃんがいなくなっちゃってちょっと寂しいだろうけど、お葬式とかは全部済ませて来たから。」と母から言われて、「まぁそうだな〜」とか思う自分がいるのです。

 

それで気づく、親から受け継いでいる死生観(年齢を重ねた人が亡くなった場合)。

・身近な人が死ぬとちょっと寂しくなる

・98才で老衰で眠るように亡くなったというのはシンプルな死に方で良い感じ

・亡くなった人のなんやかんやより、生きてる人の日々の方が大切(お葬式に行きたかったなーみたいな感覚も特にない)

 

あ〜私、こんな死生観を持っているなぁと。

若くして亡くなった、という場合には私の感覚もまた全然違っているのですが、高齢の人が亡くなるとこんな風に感じるんだな、ということがよくわかった出来事でした。
私も死ぬときは120歳くらいで、おばあちゃんみたいに自然に死んでいきたいなぁ。

あなたはどんな死生観を持っていますか?

夫は、祖母の死を私が1週間知らされなかった、ということを聞いて唖然とし、「君の家族にはわからないことが多すぎる・・・」とつぶやいておりました。ま、普通はそうだよね。。。

 

写真は、昨年9月におばあちゃんに会いに行った時のもの。

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