サステナブルに生きる。鳥谷部愛のブログ

サステナブルな生き方を探究するField of Wings鳥谷部愛(とりやべあい)のブログです。

妻がアマゾンへ。その頃、日本では①

2016/10/10 夫・鳥谷部大樹の投稿

 

妻が不在の期間、長女の髪をどうしようかと、これも課題だった。
飲みにいった後輩に編み込みのやり方を見せてもらったり、YouTubeで美容師の実演を見たりして、いよいよ、その日をむかえた。
YouTubeで長女の好きな髪型を探し、美容師の実演をたびたび一時停止し、見よう見まねで編んでいった。
かなりの時間がすぎた。どうしてもきれいに毛束が作れなくて、ごめんと何度も謝り、やり直した。鏡にはあくびをしている顔が見えた。しまいには、あーあパパにはムリなのかな、とため息をつかれたときは、経験したことのないあせりを感じた。絶望を身近に感じた。
しかも、手が放せないときに、次女には牛乳をせがまれ、牛乳をこぼされ、お尻を拭いてくれとトイレから叫ばれ、かなりのレジリエンスが試された。
ようやく完成すると、パパもやればできるんだね、とかなり上からの評価。しかし、髪型ひとつで本当に嬉しそうな表情を見せてくれるから、僕も嬉しくなって、髪をつくるスキルを新しく身につけることに決めた。
さっそく、Amazonで美容師のトレーニング用のマネキンを注文。年内、真剣にメイクの勉強をしてみることにする。これも妻不在の効用である。人生は、楽しい。

 

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妻がアマゾンへ。日本から送るエクアドル通信

2016/10/08 夫・鳥谷部大樹の投稿

大好きな作家 中谷彰宏さんと、妻がエクアドルに行くことが、どう関係するのか?

中谷彰宏さんは言った。「家事ができる男性は圧倒的にモテます。」
僕は学生時代から家事を磨き続け、結果、家事代行ができるくらいのスキルとマインドを身につけた。だから、妻がエクアドルに行っても、なにも問題ないのである。(と、意気込む)

中谷彰宏さんは言った。「お金よりも大切なのは、経験です。」
結果、僕は、貯めることより、よい経験ができることにお金を使うようになった。だから、妻のよくわからないエクアドルでの活動も、お金より大切な貴重な経験なんだと思っている。(と、納得させる)

つまり、僕からすれば、妻にとっては、中谷彰宏様々のはずである。中谷彰宏さんがいてのエクアドルだと言わないわけにはいかないのである。そして、僕の成長と中谷彰宏さんは切っても切れないのである。

しかし、苦い思い出もある。彼女を中谷彰宏さんのセミナーに連れてった。わくわくしている僕の隣で彼女は、寝ていた。質問時間に、QAがづれてる、とも言ってた。このコとは絶対長く付き合えない、と思った。

それでも、中谷彰宏さんは言った。「いい男には長く付き合っている女性がいる。」
結果、中谷彰宏さんのセミナーで寝ている人と、僕は結婚している。この言葉は励みである。笑

最後、何が言いたいのかわからなくなったが、「本は人生を変える」という先達の教えは、真実だということだ。完全に、話はエクアドルからずれた。むしろ、中谷彰宏さんと僕の話になってしまった。

彼氏や夫を育てたい女性のみなさん、中谷彰宏さんの本をプレゼントしてみてはいかがでしょうか?

妻がエクアドル/アマゾンに行くことについて、かなりマジメにいろいろな想いを書いた

2016/9/30 夫、鳥谷部大樹の投稿

妻が2週間エクアドルに行く。僕が大阪や福岡に社員研修に行くのとだいぶ違う。アマゾンの先住民族と対話し、彼らの儀式なども体験してくるらしい。未知の世界を記録するための撮影クルーも伴い、帰国後は映像制作と販売も行うらしい。妻はそんなツアープロジェクトを主催している。

妻はいまとあるNPOの理事を務め、地球規模の仕事をしている。7世代先の子孫にも豊かな地球環境を残し続けることを啓発するワークショップを各地で地道に開催している。アマゾンの奥地には、消費活動を必要とせず、自然環境と共生し、心豊かな暮らしを実現している先住民族がいる。環境的にも精神的にも持続可能な社会はどうすれば可能になるのか?妻は、環境的にも精神的にも疲弊しきった現代社会への叡智を求めて、仲間とともにアマゾンに行く。

出発を来週に控えた今、今では快く送り出せる自分がいる。しかし、「行ってきていいよ」と言うまでに、かなり時間がかかった。うじうじ葛藤した。会社勤めの僕にとって、2週間ものあいだ、6歳と3歳の娘の保育園の送り迎えや食事作りやあらゆる家事を、たったひとりでやり切るのは、大変だなと思った。それをかなりの重荷だと思った。現実のタスクの数々を想像すると、妻の夢であるアマゾンや先住民族や持続可能社会は幻想以外の何物でもなかった。7世代先までの持続可能性を説く前に、まずは家庭の持続可能性でしょ、と抵抗する気持ちもあった。だから、夫婦のあいだでその話が出ることは居心地が悪かった。避けたいものがある夫婦関係は健康的ではないと思ったが、積極的に向き合いたい話ではなかった。真剣に向き合わない夫のことをどう思っていたのか、妻の気持ちは簡単に想像できた。

しかし、ひとりのときに妻の話の続きを考えることは不思議と多くなった。このまま平行線でもいけないと感じていたからだと思う。歩きながら、走りながら、泳ぎながら、ご飯を食べながら、映画をみながら、繰り返し繰り返し、妻のことと自分の気持ちを考えた。僕は妻に何を望み、自分に何を望んでいるのだろうか?答えを探し続けた。かなりの日々が過ぎた。そして、ある日、ようやく、その答えを見つけることができた。意志を固めることができた。僕は妻の可能性を限定する結婚生活を送りたくない。妻には、妻や母親という役割の前に、ひとりの女性、ひとりの人間として、自分の可能性を信じて、自分らしくいろいろなことにチャレンジしてほしい。娘たちにはそういう母親を見てほしい。そういうパートナーシップを見てほしい。そんな気持ちで葛藤を越えることができた。そう思えてからは、この2週間はどうってことない2週間なんだろうなと思えるようになった。「エクアドル行ってきていいよ」と、言うことができるようになった。

しかし、妻の活動は僕が許可するまでもなく、運命なのかもしれない。こうなるように、妻の人生のシナリオは書かれていたのかもしれない。エクアドルに行くことを決めるまでのここ3年の道のりは劇的だった。僕は2013年に『 ソウル・オブ・マネー』という本を買って家に帰った。「うさんくさい本を買ってきたね」と妻は興味を示さなかった。しかしあるとき、妻は僕の本棚にあるこの本を読み、感銘を受けた。著者のリン・ツイスト(世界的な資金調達者)の生き方と考え方に共鳴した。いい本を読んだ、リンに会いたい。いろんなところで口にした。すると、そんな妻に、ひょんなことがきっかけで、「リン・ツイストを日本に呼ぶプロジェクトに参加しないか」と声がかかった。急きょこのプロジェクトに参画した妻は、プロジェクトの重責を担い、プロジェクトを通じて、リン・ツイストと仕事をするようになった。そして、リン・ツイストが関係して設立された今のNPOの理事にまでなった。そして今や、リン・ツイストの活動の起源にもなるエクアドルに自分も行くことを決めた。かつて一緒に働いていた大先輩はこう言ってくれた。「NYやローマは意志で行くけど、エクアドルは意志以上のものがないと行けないよ。つまり、大いなる存在に導かれてないと選択肢に入りっこない。そういうのを運命と言うんだよ。」運命の勢いには、僕ごときがどれだけ抵抗しても、波紋すら生じさせられないのかもしれない。今ではそんなふうにも思っている。

いいツアーにしてきてほしい。僕は、妻のツアープロジェクトが成功することを願っている。帰国後に製作される映像が多くの人に届くことを祈っている。でも、成功させるためには、たくさんの人の力が必要なんだろうと僕は思う。率直にいうと、お金が必要だ。NPOが大きなチャレンジをしようとするとき、資金を集められなくて活動を断念せざるを得ないことは多い。だから、、、最後はお願いになってしまいますが、もしお金に余裕を作ることができる人は、少しでいいのでそのお金を、僕の妻に投資してください。エクアドルのプロジェクトに少しだけ譲ってください。何がよりよい未来かを自問して、もしこのNPOの描く未来像と少しでも重なることがあれば、このNPOに寄付をしてください。よろしくお願いします。

www.sevengenerations.or.jp

 

ワーキングマザーの葛藤の正体とは?

ワーキングマザーの葛藤の正体って一体なんでしょうか?


仕事をやりきりたい けど お迎えの時間がきちゃって中途半端になってしまった


学びの機会がほしい けど 子どもがいるからいけない


子どもと一緒にいたい けど 会社に行かなくてはいけない


とか、葛藤のネタってたくさんあります。

が、葛藤は自分の心が創り出しているもの。自分の中で現状の選択に何か違和感があるから葛藤が生じています。

つまり、「今の選択、違ってますよ〜」というサインです。

一番大切なのは、「私は本当はどうしたいのか?」これだけです。

会社や上司、同僚の評価や、子どもにどう思われるかなんて関係ありません。とは言っても、周りのことは気になるでしょ、気にしないといけないでしょ、と思っている方がいたら、一言いっておきます。

そういうことで、何から逃げてるんですか?

お互いが我慢し合って妥協した先に満足はありません。いつまで経ってもうらみつらみが残るだけ。あのときはこんなに譲ってあげたのに、って。

そんなことになるくらいなら、最初から自分の大切なことを基準に選択したほうがよっぽどマシです。



あなたの人生は誰のもの?

誰かの期待に応えるための生き方は、もうやめにしないか?


男性も、女性も、子どもの頃から親の期待・親戚の期待・友人の期待、先生の期待に応えてきたでしょ?

時には応えられなくて、がっかりされて(もしくは怒られて)、落ち込んだり、またがんばったり・・・。

社会人になったら、会社やお客さまや上司に評価されるように仕事して、無職(主婦?主夫?)になってみたら、誰からも評価されなくて何のために生きてるのかって思ったりして・・・。


自分以外の誰かの期待に応えたり、良い評価されるために生きて、いったい自分は誰なのか、何がしたいのか、わからなくなってる。

私ができることで世間に”評価される”ことはこれだから、って基準で仕事を選ぶのはやめにしよう。

いつでも選択の軸は、私ができることで”私がやってて幸せなこと”。

びっくりしたことと私の痛み

先日、とある講座に参加した時のこと。


会場の入り口付近で知り合いに遭遇しました。

もしかして、同じ講座を受けに来たのかな?と思い、挨拶をして確認すると、そうでした。

そこで、そのあと会場まで二人で歩いていたのですが、こちらが話しかけても「あー」とか、「うーん」って感じの返事ばかりで反応が悪い。


実はこの人とは、過去にゴタゴタして、もともといい関係ではなかったのです。

まぁでも私としては、そのこともありつつも数時間の講座を一緒に受けるんだからニュートラルに受けたい、という気持ちがありました。

なので、声をかけたり話しかけたりしていたのですよね。


でも、階段をあがって角を曲がったら、その人、消えました。

いなくなっちゃった。

そして、講座にも参加しませんでした。


その時の私の反応は、

イヤな人と一緒に受けなくて良くなったのでちょっとホッとして、

私は受けたかった講座を受けられるので勝った(何に?)って気持ちになって、

そして私のことそんなに嫌いだったのかと悲しくなり、

それにしても何なの?!その態度とか表現の仕方は!と怒り、

その人が気持ちを伝えられない雰囲気を私が作っちゃっているのかなぁと落ち込み、

でも嫌われたときのあの出来事はその人が悪いんだからね!私は悪くなかったんだから!と思い、

私のせいで一人帰っちゃったよ、悪いなぁと主催者に罪悪感を感じました。


我ながら思考が忙しい。。。


けど、こんなときでも敵対せずにonenessを体感し続けることが大切。

その方法は、いくつかありますが今の私にとって一番手軽なのは

「意志の力」。

すべてはつながっている、私はあなた、あなたは私。グラウンディングしてしっかり自分と宇宙とつながる。

でもこれって相当熟練してないと難しい。

私もどうしてもできないときには、セルフワークの手法をいくつか使ったりします。


今回はとりあえずこれでいいことにしました(笑)。

ワークで深く見ていくのはちょっとエネルギーと時間が必要。。。